そういうのって必要なことかと自問自答

気になる…とある状況を目にして。

 

仮に、自分が同じ立場だとしても、そうはならない、というか、なれない。

 

立場や役職の違い、先輩後輩等の上下関係、いろんな人同士が集う場があります。

とある人を持ち上げるために、複数の人間が我先に競うように誉め称える。

端から見てても本意でない空気があるのにも関わらず、気にせず競い合ってる。

 

こういう時に、常に人の裏側を見るというか、空気感がドライな側面から物事を見てしまう自分がいます。

多分、小さい頃から時に冷たい側面があるのを感じたりしてました。

ワイワイと盛り上がってる状況に、途中から入る勇気もなく、多分、入りにくいことをごまかしてるという理由もありながらも、

そういった場面で、クールさを装いながらも、冷めた感情に包まれてしまうことがあります。

 

だから、昔から褒められると嬉しいながらも、照れ隠しと共に、居心地が悪くなったり…。

これは相手にもよりますが、信頼できる人間と、そうでない関係で距離感がかなり変わってくるもんだと、

小さい頃からなぜか冷めた感情というものに敏感に反応していました。

だから、自分の得意分野で、自慢できる人が少し羨ましかったりしてました。今でもそうかも。

オレってすげーやろ!って口にする人や、この前、こんなこと言われた!って表に出せる人には永遠になれませんね。

 

中学の頃、学校内で、ちょっとしたトラブルがあり、その原因を作ったということで呼び出し説教をされることがありました。

同時に3人が呼び出され、1人ずつ尋問のように調書みたいなものを取られて、怒られることになったのですが、

泣いた生徒は情に訴えたというのか、反省の色があると思われて帰って良しとなりましたが、

僕は泣きもせず淡々と言葉を並べて話すだけだったので、反省の色なしと咎められ、ものすごい説教を食らいました。

 

この時に、ものすごく冷めた感情というものが自分の奥深くにあるんだと自覚したのを覚えています。

正直、感情的になるのが苦手なタイプなんです。

かといって、喜怒哀楽が無いわけでもなく、人とのコミュニケーションも苦手というワケではないんです。

ただ、感情を装うことが苦手で、ある意味わがままなんだと思うんですけど、ウソっぽく演じることがキライであり、

そういう人を見ると、なぜか冷静になって、その輪に入りたくなくなるんよね、昔っから。

 

だから、表向きだけの浅い付き合いがすごい苦手で、それより自分一人を選んでしまいます。

不特定多数の輪も苦手で、少数精鋭の付き合いが好きで。

大人数での行動も、行事としては平気ですが、プライベートでは苦手です。

でも寂しがり屋なのかどうかは良く分かりません。一人が平気でありながらも、本心は羨ましいという気持ちがあるから。

 

だから自分を売り込むことが大の苦手なクセに、よくこんな性格でバンドやって自分の唄を唄ってるなーと不思議に思ってます。

未だにそんな性格ですから、おべんちゃらが苦手で、自分を出すのも苦手で、ひっそり自分を磨くのが好きという…。

 

カッコよく言えば「能ある鷹は爪を隠す」タイプですよと自慢したくなるのですが、こんなブログでしか言えないという…ねえ。

この性格で得をしてるのか損をしてるのかがイマイチ分かりませんけど、微妙に損してきたのは事実です。

オマエ冷めてるなーと若い時にエラく怒られたこともいっぱいあっったのでね。

だから、今は距離感を保ちながら、当たり障り無く輪にとけ込むという狡い性格になってしまったのかと…イヤですけどね。

 

でも人当たりの良さだけは見失いたくないもんです。これだけは守っていきたい、人として。