1995年ってもう22年前にもなるんやなーと。
近頃の若い世代は記憶にもないんやろーけど、僕は強烈に記憶に刻み込まれてます。
当時、すでに実家を離れて一人暮らしをしてて、南塚口町に住んでました。
ちょうど園女からちょっと北側に入った文化住宅みたいなとこでね。
木造2階建で、シャワーが無かったんよねー。
お風呂が給湯器のみで、追い炊きできるタイプで、まあ古い団地みたいな設備でした。
でも見た目はまあまあきれいで、内装も結構きれいにしてくれてた住宅です、今思えば。
当時…っちゅーか、成人した時に、まあ色々とあって実家から出れるチャンスがあり笑、
一人暮らし志望が強かったので悩まず喜んで飛び出したんが20才の時かな。
で、この家で家事しながら一人暮らしを満喫してました。
ほんまに家事って大変やなと実感しながらも、親元を離れて暮らすことが異常に楽しくて…自分の城っていいなと。
20代の青春はこのときに住んでた家時代に集約されているような気もします。
そんな中、この震災を体験したけど、誰もが思ったことですが、まず飛び起きた時の衝撃は強烈でして。
一番思ったのは自宅の建物にダンプカーが突っ込んだんやろって思ったんよね。
まさか地震とは思わなくて…で、まだ真っ暗な外で隣の人らがワーワー言うてるから、玄関開けたら地震やでって。
幸い、僕ん家の中は被害がコップ割れただけやったんよね。
本棚も倒れず、テレビボードや当時から相変わらずの熱帯魚マニアで、自宅に水槽大小合わせて5個ぐらい並べててんけど
その台にキャスターを付けてたんが幸いしてか、床をスライドして移動してくれて、水槽が割れたり落ちたりもしなくて。
ホンマに自宅の損害は少なく運が良かったんです。
で、実家はご近所なんで、明るくなってから様子を見に行くと、実家はヒドい状態でね。
まあ置いてる家具の量も違うし、マンションやったからかなり揺れたって。
食器棚から大量の食器が粉々に割れて、父親が大事にしてた洋酒の瓶も前部割れて、すごい酒の匂いが部屋中に充満してたり。
また、町中も信号は付いてないし、コンビニが空っぽになってたり、まあエラい騒ぎでした。
ウチの祖母がタンスの下敷きになったってことで、病院に連れていったら、もうケガ人で溢れ返っててねえ、
命に別状の無い方は帰ってくださいって言われて。ひっきりなしに救急車からケガ人が送られてきてたし。
その病院でテレビが付いてて、神戸の大惨事が流れてきてて、長田が全焼してる様子とかね。
また阪神高速があんなに横に倒れるなんか考えられへんかったことが起こってたもんね。
2号線・43号線は許可車以外通行止めで、自衛隊の被災地支援の車両が走り回ってて。
僕ね、震災の次の日に神戸に行ってるんです。まだ世の中は混乱してて交通規制も次の日は敷かれてなかって。
ちょうど、その当時にバンドはYOUTH ANTHEMの前身バンドで神戸を中心に活動してて、友人が神戸ばかりにいてて。
で、電話が繋がったら、なんせ水が出ない、水が欲しいって言われて、ポリタンクに水を思いっきり入れて運んだんよね。
その他、ガスボンベも持っていったんかなー、ガスが無いって言われたから、なぜかウチの実家に小さいプロパンガスがあって笑。
で、43号線は芦屋ぐらいまでは行けたけど、その先は例の大惨事で、芦屋の山手に御影方面に抜ける阪急沿いの道があったから
そこなら通れるってことで、御影に抜けて王子公園の方から神戸に入って。
陸上自衛隊のテントやらいっぱいあって、公園では野宿者が溢れ返ってたん覚えてます。
あれから22年って思うと、すごい遠い話に感じるけど、実際そこからの復興が早かったんよね、この震災の場合。
首都圏で関西経済の重要地ってことで、仮設の建設も含めて、すごいスピードで元に戻っていったもんね。
でも覚えてるんが、ダルマ落しみたいにへしゃげたマンションがいっぱいあったよね。
ちょうど3〜4階部分が潰れてドスんと落ちたみたいになってて。
そのまま放置されてたマンションも結構あったもんね、多分その後は取り壊したんやろと思うけど。
1995年は世の中が混乱に巻き込まれて、どんどんと既存の安全神話が崩れていってる感があったよね、某事件も含めて。
そんな中、秋にはYOUTH ANTHEMも結成して、僕的には希望に満ちあふれていった年でもあってんけどね。
自分の人生の中でいくつか鮮明に輝いている時代って、誰でも持ってるとは思いますが、
僕的にはこの頃の自分は音楽に向けて新たな一歩を踏み出し、それと同時に琵琶湖通いが始まってバス釣りに本気になり、
またプライベートでも誰に頼るわけでもなく、自分で色々と試行錯誤しながら歩んでたりと、すごい充実した時期やったかも。
思い返すと、今もほとんど同じ楽しみの中で生きているのは幸せなことやと有り難さを噛み締めてます。
写真と本文とは、1000%無関係です( ゚ェ゚)
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釣り部員1号 (水曜日, 18 1月 2017 02:14)
当時、一応は受験生だったもんで、勉強机の上に散乱してた参考書やら辞書やら漫画やら、コブラトップのラジカセも降ってきたのを覚えてますね…(^^;
だらだら過ごしてたら何て事ない日々ですが、月日の経つのは早いですねぇ…
ぱんだ (水曜日, 18 1月 2017 07:30)
そーよねー、30代中盤から月日の過ぎるスピードが快速並みになり、いまではノンストップの貨物列車です涙。みんな若かったのに…